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内村光良/画像/動画/徳永有美/結婚

内村光良について

内村光良は、昔から女子アナと色々ある。
というか、内村光良が、女子アナ以外で噂になったことを自分は知りません。
最終的には、元テレビ朝日アナウンサーの徳永有美と結婚。羨ましい限りです。

しかし内村光良は、老けません。
髪型も変わりません。ずっと6:4分けの髪型をキープしています。
かなり昔の番組「夢で逢えたら」をやってたころから内村光良の髪型は変わりません。
もし内村光良が、短髪とかブリーチとかしたら、間違いなくワイドショーは、内村光良を取り上げるでしょう。

内村光良プロフィール

内村光良(うちむらてるよし)、1964年7月22日生まれ。
熊本県人吉市出身のお笑い芸人・俳優。
血液型はAB型。
お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」のひとりで、主にボケ担当。
相方は「ナンチャン」こと南原清隆。
お笑い芸人として活動する傍ら、俳優や映画監督としても活躍。
さまざまなキャラクターを番組で演じ、ドラマや映画でもその才能を発揮している。
夫人は元テレビ朝日アナウンサーの徳永有美。
また、従兄弟に構成作家の内村宏幸がいる。

熊本県立人吉高等学校卒業後、映画監督を志し横浜放送映画専門学院(現日本映画学校)演劇科に入学(第9期生)。
ここで南原清隆、出川哲朗、入江雅人らと出会う。
1985年、漫才の授業をきっかけに南原清隆とコンビを結成。
このとき講師をしていた内海桂子・好江の勧めで、お笑いコンビ『ウッチャンナンチャン』としてマセキ芸能社に所属。
デビュー後まもなく『お笑いスター誕生!!』に出演。
当時の内村光良は特徴のない顔立ちを指摘され、コントを演じる時はダテ眼鏡をかけていた。
コントを主体とした芸風でテレビを中心に活動し、とんねるず・ダウンタウンらと共に「お笑い第三世代」として日本のバラエティ界をリードした。
1999年8月31日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画「ドーバー海峡横断部」で、ウド鈴木(キャイ〜ン)・濱口優(よゐこ)らと共にドーバー海峡の遠泳リレーでの横断に成功した。
2005年3月25日、テレビ朝日アナウンサー(当時)・徳永有美との結婚を発表し、記者会見を行う。
会見で内村光良は「(妻は)侍のような・・・」と表現し、2人の関係を「運命共同体」と語った。
同年4月23日に入籍。
2006年1月28日、自身が「究極の目標」と語る初監督映画『ピーナッツ』が公開された。

芸風としては、素のキャラクターよりも、あるキャラクターを演じきって笑いを取るタイプ(憑依芸人)で、素を全面に出す相方・南原清隆とは好対照。
これは、お笑い以外での単独の仕事が南原清隆が司会・トークなどがメインなのに対し、内村光良は俳優としての仕事が多いことからも見てとれる。
また内村光良が司会を務めるバラエティ番組でも、「内村光良というキャラクター」を演じているようであり、コントでは完全にキャラを作りこんでいくスタイルをとる、職人型の芸人である。
代表的なコントキャラクターに「満腹ふとる」(『やるやら』)、「ホワイティ」(『ウリナリ!!』)、「ミル姉さん」「大嵐浩太郎」(『笑う犬』)などがある。

関東の若手芸人と共演する番組に多く出演し、彼らの魅力を引き出す司会進行のうまさには定評がある。
プライベートでの飲み仲間も番組で共演した後輩芸人が多い。
内村光良と共演して後にブレイクした芸人は、さまぁ〜ず、くりぃむしちゅーを筆頭に多数存在しており、近年のお笑いブームの陰の立役者と言っても過言ではない。また前両者の改名の名付け親であり、現在のところ改名させた芸人のブレイク率は100%である。

内村光良関連リンク

松本人志
内村光良を自身と同じタイプの「憑依芸人」として名を挙げている。

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