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中村俊輔/画像/動画/セルティック/フリーキック

中村俊輔について

中村俊輔は、日本人でおそらくナンバー1のフリーキッカーだと思います。
中村俊輔のフリーキック技術は世界でも十分通用するものです。
ちょっとボールを持ちすぎる時がある中村俊輔には、自分的に不満があったりしますが、中村俊輔がボールをもったときのワクワク感はたまりません。(ちょっと矛盾していますが・・・)

中村俊輔が、ファンタジスタと言われるには学生時代からのそれなりの努力があったことはもちろんですが、中村俊輔独自のサッカーノートで自分のプレーのイマジネーションを高めているのを見たことがあります。
中村俊輔の創造性は素質はもちろんですが、そのノートからきているのだと思います。

中村俊輔プロフィール

中村俊輔(なかむらしゅんすけ)、1978年6月24日生まれ。
横浜市出身のサッカー選手。
日本を代表するレフティ。

名前の「俊輔」は、母が作曲家・菊池俊輔のファンだったことに肖って付けられた。
兄の影響を受け、小学校入学と同時に深園FCに入団、サッカーを始める。
中学時代、日産(現横浜F・マリノス)のジュニアユースに所属するが、ユースに昇格できず、桐光学園に進学しサッカー部に所属する。
高校時代は練習に明け暮れ、現在、中村俊輔の武器であるキックの精度を磨くことに専念。
2年時は全国高校サッカー選手権で活躍、脚光を浴びた。
さらに3年時には山本昌邦率いるU-20日本代表に、唯一の高校生として召集されてワールドユースにも出場、高校サッカー選手権でも準優勝を修めた。

1997年、横浜マリノスに入団。入団後は、徐々に実力を発揮しクラブの主力選手に成長。
U-23代表にも招集され、2000年のシドニーオリンピックに出場ベスト8に大きく貢献、さらに同年、A代表に招集され、アジア選手権では左サイドで存在感を示し、JリーグでもMVPを受賞する。

その後も順調にA代表に定着するが、2002年に開催された日韓ワールドカップ大会直前の親善試合で直接FKを決めるなど代表確実と思われたにもかかわらず、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことなどが原因で選出から漏れ、出場を果たせなかった。
ケガが癒えた直後の2002年7月、イタリアのセリエAレッジーナに移籍し、2シーズンに渡ってクラブの1部残留に貢献する活躍を見せた。
そして2005年7月、熱烈なラブコールを受け、スコティッシュ・プレミアリーグの強豪、セルティックへ移籍。
2006年5月、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップに臨む日本代表に選出された。

長短のパスを交換しながら攻撃を組み立てることを好み、広い視野と高い戦術眼そして左足の正確なボールコントロールで決定的なチャンスを作り出すことができる。
プレースキックの名手であり、鋭く曲げて直接ゴールを狙うこともピンポイントのキック精度でゴールをアシストすることも得意とする。
走るスピードや競り合いの強さは弱いが、運動量の多い選手でボールを受けるため広く動き、柔軟にポジションチェンジもおこなう。
突破力も非凡で切り返しを織り交ぜた緩急のあるドリブルを得意とする。
守備面ではカバーリングやマーキングなどで長い距離を走り守備意識は高いが守備は不得意である。

中村俊輔経歴

1985年〜1991年 - 深園FC
1991年〜1994年 - 日産FCジュニアユース
1994年〜1997年 - 桐光学園高校
1997年〜1998年 - 横浜マリノス
1999年〜2002年7月 - 横浜F・マリノス
2002年8月〜2005年7月 - レッジーナ(セリエA)
2005年8月〜 - セルティック(スコティッシュ・プレミアリーグ)

中村俊輔関連リンク

中田英寿
中村俊輔と同様にドイツW杯代表。

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