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布袋寅泰/画像/動画/歌詞/試聴/ギター

布袋寅泰について

布袋寅泰は、14歳でギターを始め、17歳の時上京したらしです。
バンド時代は布袋寅泰自身のスタイル(『8ビート』の『カッティング』など)が確立されていった時期でしょう。
布袋寅泰の才能は、ギターキッズ憧れの的となっているように思います。
布袋寅泰モデルのギターを購入するギターキッズも多かった気がします。

今では、海外で活動したり、俳優、楽曲提供など幅広く活動している布袋寅泰ですが、ずっとギターをもってステージに立っていてほしいものです。

布袋寅泰プロフィール

布袋寅泰(ほていともやす)、本名:布袋寅泰、1962年2月1日生まれ。
父親は韓国人、母親はロシア人と日本人のハーフ。
群馬県高崎市出身出身のミュージシャン。
身長187cm。血液型はB型。IRc2 CORPORATION所属。

1981年、BOOWYのギタリストとしてデビューし、BOOWYでの活躍でギタリストとしての地位を確立する。
BOOWY解散後はソロ活動の他、吉川晃司とのユニット・COMPLEX、他ミュージシャンへの楽曲提供など幅広い活動をしている。
また、レコーディングではギターだけでなく、ベース、ドラムス、キーボードも演奏する。
ソロ作品の代表曲は『さらば青春の光』、『POISON』、『スリル』、『バンビーナ』など。

また布袋寅泰は、海外ではHOTEI名義で、イギリス、ドイツなどでアルバムをリリースしている。
イギリスのロックバンド、ジーザス・ジョーンズと親交があり、双方がライブ演奏のゲストに招いている。
近年は映画やCMへの出演等、俳優としての活動も行っている。

「最新のHOTEIが最高のHOTEI」がモットー。ポルシェ社のキャッチコピーから。
現在の愛車はベントレーのアルナージT、AMGのE63T、シボレーのエクスプレスバン、アストンマーチンのV8ヴァンテージ。

A-ROCK本選会アイデア賞を受賞し、17歳(高校3年時に中退後)の時上京。
1981年に氷室京介らと共に暴威(後に「BOOWY」と改名)というバンドを結成。
翌1982年にリリースしたアルバム『MORAL』にてプロデビューする。
バンド時代は自身のスタイル(『8ビート』の『カッティング』など)が確立されていった時期であるといえる。
『B・BLUE』、『ONLY YOU』、『MARIONETTE』などその過程においてBOOWYの代表曲となる作品が多数生まれている。
BOOWYは1987年12月24日渋谷公会堂で解散を発表し、翌1988年4月に行われた東京ドームでのライブをもって活動に終止符を打つ。

初期の活動と平行して、演劇型アプローチのロックバンド、AUTO-MOD(他に、高橋まこと、PERSONZの渡邉貢らが在籍)に在籍していたり、またその個性的なギタースタイルから他のアーティストのレコーディングに呼ばれる事も多く、鈴木雅之のソロデビュー曲『ガラス越しに消えた夏』をはじめ、吉川晃司・中島みゆき(後藤次利プロデュース)、アニメ『ストップ!ひばりくん』ED、『風の谷のナウシカ』サウンドトラック(当時同じレコード会社に所属していた)、山下久美子(吉田建プロデュース)などのアルバムに参加している。

BOOWYでの活動を終えて、氷室京介が1988年7月21日にソロデビューしたのに続き、半年後の同年10月にソロ1stアルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロ活動を開始。
藤井丈司・ホッピー神山とのコラボレーションによるギターとコンピュータの融合で歴史に残る斬新なアルバムとして注目された。
イギリスにおいてシングルを発表するも注目されることはなく、同年12月に吉川晃司とCOMPLEXを結成し、シングル『BE MY BABY』でデビュー。
2枚のアルバムを発表したが、音楽性の違いで吉川と対立し、1990年11月8日に行われた東京ドームでのライブをもって無期限活動休止に入る。

COMPLEX休止後は一貫してソロ活動に専念する。
ミュージシャンであるだけでなく、音楽プロデューサーとして布袋寅泰は、今井美樹、相川七瀬、TOKIO、藤井フミヤ、JILL(PERSONZ)や江角マキコなどのアーティストに楽曲を提供したり、『新・仁義なき戦い』や『KT』、『キル・ビル』などの映画音楽も手掛ける。
また『新・仁義なき戦い』や『サムライ・フィクション』等では俳優としても活躍。
その長身と強面を生かし、永瀬正敏とのコマーシャルにも出演。

1996年にはマイケル・ケイメンからのオファーでアトランタオリンピックの閉会式に出演。
1994年の奈良東大寺でのイベント「AONIYOSHI」をきっかけに交流を深めたケイメンとギターとオーケストラとの融合作品『GUITAR CONCERTO』に参加したり、『THANK YOU & GOOD BYE』のプロデュースをケイメンに依頼した事もあった。

布袋寅泰自身による著書「秘密」によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。
母親はロシア(樺太)生まれの日本人とロシア人とのハーフで日本国籍とのこと。
また、映画「新・仁義なき戦い」に昌龍の役で出演を決めた理由について、「彼の生い立ちと同じく、僕も父親が韓国人で、アウトサイダーとして生きざるを得なかった。」と語っている。

幼少時代にピアノを始める。14歳の時、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受けギターを始める。
初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から失敬した壱万円だったという。

プロテスタント系キリスト教主義学校の新島学園高校中退。
在籍した場合、その氏名等を掲載するという方針のため、「同窓会名簿」には名前が載っている。
この中退というのは学校側から髪型を指摘されたことが原因によるものである。
その際、教師に向けて言い放った「イエス様の方が僕より長い。」の台詞はファンの間で有名。
このエピソードについて、「クイズダービー」第748回(1990年7月14日放送分)の最終問題で出題された。

BOOWY時代から現在に至るまで愛用されている白黒の幾何学模様のフェルナンデス(後にネックや金属パーツなどをゾディアック・ワークス製に交換している)・テレキャスター(TEJ-HT)は市販されている数あるアーティストモデルのギターの中でも特に有名である。
模様は酒を呑んで酔っ払った勢いで「あっみだくじぃ?」と口ずさみながらトイレで書いたと言われている。
楽曲製作に関しては、作曲を優先(曲先)にする。ギターリフから作ったもの、ベースリフから作ったもの、メロディから作ったもの、リズムパターンから作ったものとバラエティに富んでいる。

1986年1月に歌手の山下久美子と結婚したが、1997年11月に離婚。
その後、1999年6月に女優・歌手の今井美樹と再婚し、一人娘がいる。

2007年10月、芥川賞作家のパンクロック歌手、町田康に暴行してけがをさせたとして、木更津簡裁より傷害罪で罰金30万円の略式命令を受けた。

布袋寅泰関連リンク

堂真理子
Mステ出演時「ぬのぶくろ」と読んでしまった。その後、布袋寅泰が自身の公式HPでフォロー。

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